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鹿児島地方裁判所 昭和36年(わ)262号 判決

主文

被告人を罰金五、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中国選弁護人松村鉄男に支給した分の三分の一は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、鹿児島市西千石町一〇〇番地建設業西村基方に会計等担当の事務員として雇われ、西村が雇用する日雇労働者らにかかる失業保険料の納付事務を取り扱つている者であるが、失業保険法被適用事業主である西村は、その雇用する日雇労働被保険者に賃金を支払うつど、その者及び自己の負担する日雇労働失業保険の保険料を、日雇労働被保険者が所持する日雇労働被保険者手帳(以下手帳と略称)に失業保険印紙(以下印紙と略称)を貼付し、及びこれに消印して納付しなければならないものであるところ、同人の雇用する日雇労働被保険者に対しては、賃金支払日である各月の一五日及びその末日において同人らがそれぞれ前月末日から翌月一四日まで及び同月の一五日からその末日の前日までの間に各就業した分の賃金を、各一括して支払うので、各月一五日の賃金支払日には、同人らが前月末日から翌月一四日までの間に就業した分の印紙を各月末日の賃金支払日には同人らが同月一五日からその末日の前日までの間に就業した分の印紙をそれぞれ一括して、同人らの所持する各手帳の印紙貼付台帳の各該当日欄に貼付し、及び消印しなければならないのにかかわらず、被告人は、西村と共謀の上、別紙犯罪表記載の各日雇労働被保険者に対し、賃金支払日である同表記載の各月の一五日及び末日において、同人らがその月の前月の末日から翌月一四日まで及び同月一五日からその末日の前日までの間に同表記載の各就業日に各就業した分の賃金を、それぞれ一括して支払いながら、同人らの所持する各手帳の印紙貼付台帳の同表下段記載の各年月日該当欄に、貼付すべき印紙を、それぞれ貼付せず、及びこれに消印しなかつたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法律の適用)

法律に照らすと、判示各所為(別紙犯罪表記載の各月の一五日及び末日に、それぞれ貼付すべき印紙を一括して貼付せず、及びこれに消印しなかつた点を、各一罪と認定する。)は、各失業保険法第五三条第五号、第三八条の一二第二項、刑法第六〇条、第六五条、罰金等臨時措置法第二条に該当するので、各所定刑中罰金刑を選択し、以上は、刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四八条第二項により各罪につき定めた罰金額を合算した範囲内で、被告人を主文第一項の刑に処し、罰金を完納することができないときの労役場留置処分につき同法第一八条を、刑の執行猶予につき同法第二五条第一項、罰金等臨時措置法第六条を、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を各適用して、主文第二項ないし第四項のとおり定める。

なお、当裁判所は、判示犯罪事実について失業保険法第五五条第一項を適用しないで、刑法第六五条を適用したのであるがそれは、事業主でない被告人が単独では失業保険法第五三条の犯罪主体とはなりえないけれども、判示のように、事業主である西村と共同正犯の関係に立つ場合には、同条の犯罪主体となると解したからにほかならない。

この点について、法人又は人の従業者も単独で同条の犯罪主体となるとする見解がある。その理由として掲げるところは、

(1)  検察官の主張するように、同法第五五条第一項前段によつて同法第五三条の構成要件が修正される結果、本来同法第三八条の一二第二項の義務を負う身分を有しない従業者も、同法第五三条の犯罪主体となるにいたり、同法第五五条前段の「行為者を罰する」とは、これを各本条違反としてその所定刑に処するという意味であるとし、

(2)  違反行為の犯罪主体は、取締法規の遵守義務者でなければならないが、事業主の従業者は、事業主を対象とする取締法規を当然に遵守すべき義務があるから、事実行為者である従業者は、「行為者を罰する」という規定がなくても行為者責任を基調とする刑法の一般原則により、本来処罰可能であるが、失業保険法第五三条は、「左の各号の一に該当する者を」処罰すると規定しないで、「事業主が左の各号の一に該当するときは、これを」処罰すると規定しているから、疑いを避けるために、同法第五五条第一項は、「行為者」をも処罰することを明らかにしたものであるとし、

(3)  失業保険法上の事業主が、単独で事業を運営することはなく、経営者、事務担当者らによつてこれが運営されているものであるから、「事業主」と規定されている場合は、当然従業者をこれに含むと考えるべきであるとし、

(4)  犯罪主体が取締法規の遵守義務者でなければならないことは、(2)説と同様であるが、従業者は、本来その義務に関して直接国家に対して法律関係に立つものではない。しかし、「行為者を罰する」旨の規定がある場合には、従業者もその業務に関し、事業主を対象とする取締法規を遵守すべき義務を負い、これに違反した場合には、行為者として自ら義務違反の責任を負わなければならないからであるとし

ている。

そこで、右の各説について順次考えてみよう。

(1)説について。

同法第五五条第一項前段が同法第五三条の二、第五四条の各構成要件を修正しようにも、両条がそれぞれ事実行為者個人をとらえて犯罪主体として規定しているため、その余地は全くないのであるから、とくに同法第五三条の構成要件だけを修正するために、わざわざ「……前三条の違反行為をしたときは……」と規定したものであると理解することは、きわめて困難である。そのようなずさんな立法をしたものではないと思われるのである。もし、同法第五五条第一項前段が「前三条」の構成要件を修正する条文であるとするならば、昭和三三年法律第一四八号による同法第五三条の二の改正追加の際に、同条を「失業保険事務組合が左の各号の一に該当するときは、これを六箇月以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する。……」と規定し、同法第五三条と同様の体裁にすれば足りたはずである。そのようにしないで、現行のように規定されたことにかんがみると、同法第五五条第一項前段が「前三条」の構成要件を修正する規定でないことは、右の改正立法によつて明らかにされているといわなければならない。かりに本説のように、同法第五五条第一項前段によつて「前三条」の構成要件が修正されると解するならば、従業者の「同法第五一条に規定する質問」に答弁せず、虚偽の陳述をした所為等は、同法第五三条第一〇号違反となると説くのであろう。しかしながら、従業者の右所為は、業務に関してすること以外は考えられないのにかかわらず、軽い同法第五四条第三号が適用されずに、同法第五三条第一〇号が適用されるという理論には、到底首肯できるものではなく、同法第五四条第三号の規定の存在は、かえつて同法第五三条の犯罪主体が事業主に限られるという一論拠にもなると思われる。さらに、同法第五五条第一項は、「……行為者を罰するの外、その法人又は人に対し、各本条の罰金刑を科する。」として、法人又は人の従業者自ら不監督の不作為又は過失行為を前提として、法人又は人に対する「刑」を明らかにしているけれども、その前段では単に「罰する」とするだけで、「各本条の刑を科する」とは明らかに区別して規定しているから、「罰する」という規定を直ちに「各本条の刑を科する」と解することは困難であつて、刑を法定したものといい難く、むしろ同条項前段は、後段の趣旨を明確にするためにとられた各本条の確認的文言ないしは修辞的文言に過ぎないと解すべきであるという議論も成り立ちうる。かようなわけで、本説に賛するわけにはいかない。最高裁判所昭和三三年七月一〇日判決(集一二巻一一号二四七一頁)は、事業主の代理人が単独で同法第五三条第二号(改正前のもので、現行同条第三号)違反の犯罪主体となりうることを前提として上告を棄却(無罪)しているかのようであるが、必ずしもその法理を是認したとも、またその法理を充分に分析したとも認められないのであつて、本件に適切な判例とはいい難い。なお、右事件の第一次の控訴審判決(東京高等裁判所第八刑事部昭和二五年一二月一九日判決。取り調べた同庁昭和二五年(う)第二七四八号事件判決抄本――記録に編綴されたのはその写――を参照)は、同法第五三条第二号、第五五条第一項とが相い俟つて、事業主の代理人は、右第五三条第二号の犯罪主体となる旨漫然述べているだけで、首肯させるに足る理由を何も示していないので、参考とするに値いしない。

むしろ、最高裁判所昭和二八年八月一八日判決(集七巻八号一七一九頁)が、「旧地方税法の特別徴収義務者」の「従業者」は、同法第一三六条第二項所定の行為をしても、身分なき行為者であるから、同法第一三九条(両罰規定)前段の規定にもかかわらず、処罰することができないと判示していることには注目すべきである。

(2)及び(3)説について。

利益規定やいわゆるサービス法規の解釈ならともかく、刑罰法規については、個人責任の原則を厳守し、成文の可能な意味の限界を不利益に越えることのないように、厳格な解釈をしなければならないことに、まず注意する必要がある。そして失業保険法には、労働基準法第一〇条のような使用者の範囲についてかなり広く解釈した規定を設けていないことにも考慮を払わなければならない。また取締法規の遵守義務者が当然犯罪主体となるわけでないことも忘れてはならない。(2)説のように事業主の負う遵守義務は、当然従業者も負うと結論するためにはかなり論理の飛躍を必要とするし、失業保険法第五三条が明らかに、「事業主が」と規定しているのにかかわらず、本説のように従業者も当然同条の犯罪主体であるというためには、罪刑法定主義を無視し前記限界を不利益に越えたいわゆる類推解釈によらなければならないと思われる。それは、決して同限界内にとどまるいわゆる拡張解釈とはいえないのである。(なお、前記同法第五三条第一〇号と第五四条第三号との関係をも参照)。

(3)説のいうように、もし事業が経営者や従業者らによつて運営されるという理由で、同法第五三条の「事業主」には、事理の当然として従業者を含む趣旨であるというならば、失業保険事務組合にもその理があてはまるのであるから、同法第五三条の二も前記のように規定すればよいはずであるのにかかわらず、「失業保険事務組合が左の各号の一に該当するときは、その行為をした失業保険事務組合の代表者又は代理人、使用人その他の従業者は、六箇月以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する。……」と、あえて事実行為者個人をとらえて規定しているのであるから、右両条を比照すれば、同法第五三条の「事業主」に当然従業者を含むと解するのは、無理なことであるといわざるをえない。同法第五三条の二は、前記のように後に改正追加された関係上、とくに明確に規定されたにすぎないのであつて、同法第五三条も元来これと同様の趣旨で立法されたものであるという議論もあろうが、同条が同法第五三条の二のような形式に同時改正が可能でありながらそのように改正されなかつたこと、現に右二箇条が明らかに異つた規定の仕方を維持していること、前記のように同法第五三条第一〇号が事業主を、同法第五四条第三号が法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者らを、それぞれ全く同じ内容の所為の犯罪の主体として区別してとらえていることにかんがみると、本説に賛することもできない。

(4)説について。

本説は、取締法規の遵守義務者と犯罪主体とを同視しているかのように思われ、甚だしく構成要件的考察に欠けているといわなければならない。かりに、同法第五五条第一項前段が「……前三条の違反行為をしたときは、行為者を罰する」と規定して、事業主及び失業保険事務組合の従業者らに、事業主や右事務組合の負うべき遵守義務を負わせたものであるとしても、前記のように同法第五四条はもとより、同法第五三条の二も、すでに各本条において行為者の個人責任を明らかにしているのであるから、少くとも右両条に関する限り、同法第五五条第一項前段は、無意味となつているので、本説は、同条項にいう「前三条」全体を統一的に律する見解というわけにはいかない。もし、本説の趣旨が同法第五五条第一項により同法第五三条の構成要件を修正したものであるということにあるならば、(1)説に対する批判があてはまるのである。

結局右に掲げた各積極説には、いずれも賛成することができない。当裁判所が本件につき、失業保険法第五五条第一項を適用せず、刑法第六五条を適用したのは、このためである。

(量刑の事情)

被告人の判示各所為は、失業保険の正常な運営を阻害するもので、これらの犯行が一因となつて多額の失業保険金詐欺行為が行なわれ、(この詐欺幇助罪の疑いも充分である。)、起訴されていないが、判示日雇労働者らのうち、法律上一般の失業保険の適用を受けるにいたつた者にかかる失業保険料を法定の期限までに納付しなかつたこと等を考えると、その責任は、決して過小評価されるべきものではない。しかし、主管行政庁の事務処理にも遺憾な点のあつたことが認められること、共同正犯である西村基が起訴猶予処分を受けていること、判示犯行によつて貼付されなかつた印紙額が一、五六〇円に過ぎないこと、被告人には前科がないこと等被告人に有利な諸事情も充分斟酌されなければならない。当裁判所は、これら一切の事情を総合考慮して、主文の処分を定めたのである。

そこで、主文のとおり判決する。

(裁判官 櫛渕理)

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